回覧板
2026.08.11引っ越してきた町は、今どき珍しく回覧板が現役だった。
表紙の裏に、班の名簿が貼ってある。読んだら判子を押して、次の家に届ける決まりだ。名簿の順番は、田中、佐藤、うち、山際、鈴木——となっている。
山際という家が、わからなかった。
うちの隣は鈴木さんだ。反対隣は田中さん。班の五軒は同じ並びにあって、間に他の家など挟まっていない。田中さんに聞くと、少し困った顔で「ああ、山際さんね」とだけ言って、名簿の話はそれきりはぐらかされた。
仕方なく、最初の月は山際を飛ばして鈴木さんに届けた。翌朝、ポストに回覧板が戻っていた。名簿の私の判子の横に、赤鉛筆で小さく書き込みがあった。
「順番はまもりましょう」
誰の字かは、わからなかった。鈴木さんは受け取った覚えがないと言う。
次の月、私は意を決して、名簿のとおりに届けることにした。夕方、鈴木さんの家との境、ブロック塀と物置の隙間の前に立つ。人ひとりがやっと通れる、家などあるはずのない暗がりだ。けれど名簿のとおりなら、山際さんはここしかない。
隙間の奥に向かって、回覧板をそっと差し出した。
「回覧板です。……お願いします」
すっ、と。奥から伸びてきた白い手が、回覧板を受け取った。私は振り返らずに家へ帰った。それでいいのだと思う。順番さえ守れば、何も起きない町なのだ。
ただ、翌朝ポストに戻ってきた回覧板の名簿は、一行増えていた。私の名前の、すぐ下に。