三分怪談

3分で読めるホラー掌編

中編 第二話 — 読了目安 約10分

四日目の膳

俺の実家にはお盆に妙な風習がある。

盆というのは普通十三日に迎え火を焚いて十六日に送り火で締める。ご先祖さまは三泊四日で帰ってきて帰っていく。うちも表向きはそのとおりだ。仏壇に提灯を出し精霊馬を飾り、朝晩に膳を供える。

ただ、うちだけは送り火を焚いた翌日──十七日の晩にも膳をひとつ出す。

仏壇にではない。仏間の隅、床の間の脇の畳の上に直に。ごはんと味噌汁と、きゅうりの浅漬け。祖母は毎年それを「四日目の膳」と呼んで誰にも触らせずに自分で用意していた。

子どもの頃、一度だけ聞いたことがある。おばあちゃん、それ誰の分。

祖母は少し困ったように笑ってこう言った。

「うちはね、一人多く帰ってくるの」

「誰が?」

「知らない人」

知らない人、と祖母は言った。ご先祖さまではないのか、と幼心に不思議だったのを覚えている。祖母は続けて独り言のように言った。

「送り火で皆さんお帰りになるでしょう。でもあの人はね、帰る家がないんだか帰り方を忘れたんだか、一日遅れでうちに寄るのよ。おばあちゃんが子どもの頃からずっとそう。だからお膳だけ出しておくの。出しておけば食べて、次の年まで来ないから」

「食べなかったら?」

祖母は答えなかった。代わりに俺の頭を撫でて「あんたは知らなくていいの」と言った。

祖母が死んだのは俺が高校二年の冬だ。

翌年の盆、膳の支度は母が引き継いだ。迎え火、送り火とつつがなく済んで、十七日の晩になった。母は台所で夕飯の後片付けをしながらふと手を止めた。

「……お膳、忘れてた」

時計は夜の十時を回っていた。今からごはんを炊き直すのも、と母は迷って結局「一年くらい、いいでしょう」と言った。おばあちゃんの代のことだし、と。父も「迷信だ迷信」と笑っていた。俺も正直どちらでもよかった。

その夜中、俺は喉が渇いて目を覚ました。

部屋を出て台所へ行こうと廊下を歩いていると、仏間の襖が細く開いているのが見えた。中は真っ暗だ。ただ暗がりの奥で畳を擦るような音がしていた。

ず、……ず、……と。

重いものを少しずつ引きずるような音。猫でも入り込んだかと思って襖の隙間に手をかけた。そのとき音がぴたりと止まった。

暗闇の中から、店の棚卸しでもするような平坦な声がした。

「ない」

心臓が跳ねた。声は続けた。

「ことしは、ない」

俺は襖から手を離し、自分の部屋まで走って布団をかぶった。朝まで一睡もできなかった。

翌朝、仏間を見に行くと畳に妙な跡が残っていた。床の間の脇──毎年膳を置いていたあの場所を中心に、畳の目に沿って何かを探し回ったような擦り跡が部屋じゅうに渦を巻いていた。そして障子の腰板に灰色の手形がひとつ。ちょうど膳を置く場所の高さに。

母は青い顔でそれを拭きながら、俺に「誰にも言うんじゃないよ」と言った。父はその日から「迷信だ」と言わなくなった。

その年はそれで済んだ。済んだ、と思っていた。

変化に気づいたのは次の年の盆だ。母は今度こそ念入りに、十七日の晩、四日目の膳を用意した。ごはん、味噌汁、きゅうりの浅漬け。祖母がしていたとおりに。

翌朝、膳は食べられていた。ごはんは減り、箸は使われ、椀は乾いていた。それはいい。祖母の代からそうだったらしい。

ただ──箸が二膳になっていた。

母は一膳しか置いていない。なのに朝には見覚えのない古い塗り箸がもう一膳、椀に行儀よく揃えて置かれていた。まるで「次からは二人分」と言われているようだった。

母は何も言わずにその箸を白い紙に包み、菩提寺に納めに行った。そして次の年から四日目の膳は二つになった。

去年、俺は結婚して県外のアパートに移った。今年の盆は仕事の都合で帰省できず、初めて実家の外で盆を過ごした。

十七日の夜、九時過ぎに母から電話があった。母の声は少しだけ硬かった。

「あんた、今年、お膳出した?」

「出すわけないでしょう、うちはアパートだよ。それに、あれはうちの——実家の話でしょう」

電話の向こうで母が黙った。長い沈黙のあと、母は言いにくそうに言った。

「今朝ね、お膳、ひとつ残ってたの。二つ出して、ひとつしか食べてなかった。おばあちゃんの代から、残ったことなんて一度もないのに」

「……食べ損ねただけじゃないの」

「あのね。残ってたのは、去年増えたほうの分。もとから来てる方は、ちゃんと食べてった。だからね」

母はそこで一度言葉を切った。

「増えたほうの一人は、今年、うちには来なかったってこと。……あんた、今、家にいる? 玄関、鍵かけてる?」

かけてるよ、と答えながら俺は自分の部屋の玄関を見た。ワンルームの短い廊下の先の薄いドア。その郵便受けの蓋が風もないのに、かた、と鳴った。

電話口で母が何か言っていたが、よく覚えていない。俺はただドアの前の床を見ていた。

敷きっぱなしの玄関マットがめくれていた。誰かが探し物でもしたように。

今、うちの台所にはごはんと味噌汁と、きゅうりの浅漬けが置いてある。妻には「田舎のおまじない」とだけ説明した。嘘ではないと思う。

祖母の言葉をいまさら思い出す。出しておけば食べて、次の年まで来ないから。

明日の朝、膳が食べられていますように。生まれて初めて俺はそう祈っている。食べられていなかったら──あれはまだこの部屋のどこかで探しているということだから。