三分怪談

3分で読めるホラー掌編

中編 第三話 — 読了目安 約10分

終点の先

これは十年前、わたしが就職一年目の冬に体験した話だ。今でも同じ路線を使っている人がいたら申し訳ないが書かせてもらう。

忘年会で飲みすぎてわたしは終電で寝落ちした。目が覚めたとき、車内にはわたししかいなかった。窓の外は真っ暗で電車はまだ走っている。終点で叩き起こされるのが常だったから変だなとは思った。

スマホを見ると零時五十二分。GPSは圏外。路線アプリは「運行終了」と表示していた。走っている電車の中で、である。

十分ほどして電車は減速し、駅に停まった。ホームの駅名標には「こじゅけい」とあった。漢字表記は「小綬鶏」。聞いたことのない駅だった。わたしの路線に、そんな駅はない。

ドアが開いた。アナウンスはなかった。迷った末、わたしは降りた。あのまま乗っていたら、と今でも時々考える。降りて正解だったのか間違いだったのか、実はまだ分からない。

ホームは古く、蛍光灯が数本間隔を空けて点いているだけだった。降りたのはわたしひとり。電車はすぐにドアを閉め、闇の奥へ走り去った。

改札のほうへ歩くと、小さな駅務室に明かりが点いていて年配の駅員が座っていた。ほっとして駆け寄った。

「すみません、ここ、何駅ですか。終電で寝てしまって」

駅員は顔を上げた。制帽の下の顔は優しげな、ごく普通の老人だった。ただ彼はわたしの質問には答えず、静かにこう言った。

「またお一人、降りてしまわれたか」

そして駅務室から出てくると、わたしをホームのベンチに座らせた。

「いいですか。次の上りが四時十二分に参ります。それに乗れば、朝には元の路線に戻れます。それまで、このベンチを立たないでください。何があっても、です」

「は、はあ……」

「それから」と駅員は声を落とした。「そのうち、改札の外から、あなたを呼ぶ声がします。知っている人の声です。お母さんかもしれないし、友達かもしれない。迎えに来たと言います。行ってはいけません。この駅に、迎えは来ません。来られるはずがないんです」

駅員は駅務室に戻っていった。わたしはベンチでコートの襟を立てて待った。寒さは不思議となかった。

一時半ごろ、それは始まった。

「――くん。おーい、――くん」

改札の外の暗がりから、男の声がした。大学時代の親友の声だった。心配して迎えに来た、車で来てるから早く、と声は言った。懐かしい、屈託のない声だった。

親友は、その前の年に死んでいる。

わたしは目をつぶり、膝を抱えた。声は一時間ほど続いた。途中から親友の声は母の声に変わり、母の声は最後にはわたし自身の声になった。自分の声で「もういいよ、こっちおいで」と呼ばれ続ける時間を想像してほしい。

四時十二分、本当に電車は来た。二両編成の、見たことのない古い車両だった。乗り込むと、車内は暖かかった。ドアが閉まる瞬間、ホームに駅員が立って、帽子を取り、深々と頭を下げているのが見えた。

気がつくと、わたしはいつもの路線のいつもの終点で車掌に肩を叩かれていた。「お客さん、終点ですよ」。朝の五時半だった。スマホの圏外は直っていた。

夢だと思うだろう。わたしもそう思うことにしていた。

ただ、ひとつだけ。コートのポケットに見覚えのない硬い紙が入っていた。古い様式の切符だった。厚紙に、こう印字されていた。

「小綬鶏 → 小綬鶏」

行き先が同じ駅なのだ。裏には小さな赤い判子で「回数券 残9」とあった。

わたしはそれを駅のホームのゴミ箱に捨てた。捨てたのに翌朝、同じポケットに入っていた。今は実家の仏壇の引き出しに塩と一緒に入れてある。それ以来、戻ってはこない。

残りの九回を、わたしは絶対に使わない。ただ時々考える。最初の一回を使ったのは──あの夜、あの駅まで「行き」に使ったのは、いつの、どこのわたしだったのだろう。